「油祖」離宮八幡宮

JR山崎駅を降りてまっすぐ40メートルほど、阪急大山崎からなら、西国街道に沿って西へ100メートルほど、いったT字路に離宮八幡宮はあります。東門(大山崎町指定文化財)が迎えてくれます。

 今から千年以上前、貞観元年(859年)8月23日、清和天皇の勅命により九州にあった宇佐八幡宮が大山崎に遷宮されました。この場所は嵯峨天皇の離宮があったため離宮八幡宮とよばれるようになりました。離宮八幡宮では長木(ながき)という道具が発明され、荏胡麻(えごま)の種子からの搾油が盛んにおこなわれるようになりました。

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離宮八幡宮の社

由来

離宮八幡宮は、石清水八幡宮の元社にあたり、八幡大神を祭神とする神社です。

貞観元年(859年)に清和天皇が、神託により国家安泰のため宇佐神宮から分霊し平安京の守護神として奉安することとし、その時に九州に使わされた大安寺の僧行教が帰途山崎の津(当時の淀川水運の拠点港)で神降山に霊光を見、その地より石清水の湧いたのを帰京後天皇に奏上したところ、国家鎮護のため清和天皇の勅命により「石清水八幡宮」が建立されたのが始まりとされています。

その後、嵯峨天皇の離宮「河陽(かや)離宮」跡であったので社名を離宮八幡宮とし離宮八幡宮が成立しました。しかし、離宮八幡宮の創建については、諸説あり、石清水八幡宮と同時に成立したとは考えらないという説や、離宮八幡宮は南北朝時代から室町時代初め頃に成立したとみる説もあります。

離宮八幡宮と油

離宮八幡宮は油の独占で栄えます。平安時代の後期(貞観年間)となり、津として栄えたこの地の人々の中に、荏胡麻(えごま)の油絞りの道具を考え出した者(離宮八幡宮の神官貞観年間、時の神官が神示を受けたとされる)「長木」という搾油器を発明し荏胡麻油の製油を始めました。

当初はこの道具を使って作られた荏胡麻油は、対岸の石清水八幡宮の灯明用の油として神社仏閣の燈明用油として奉納されていましたが、次第に全国にこの業が広まり、離宮八幡宮は朝廷より「油祖」の名を賜りました。